鼻子の部屋(おまけのページです)

ここは、「お好み焼き・花子さん」の店主である「鼻子」の部屋です。
あなたは、渋い「鼻子の世界」について来られるかな?

「鼻子の今月の1枚」 「鼻子の持ち物検査」
店内に張ってある400枚のEPレコードの中から、話題の1枚をご紹介します。次回当店に、ご来店の際にどこに張ってあるのか?捜してみてください。 「変なもの」「B級品」収集癖のある鼻子の持っているものを毎月検査します。
おめん
ザ・ドリフターズ 平和鳥
アグネス・チャン ピンクレディー
ジャングル大帝 扇風機
辺見マリ 学研電子ブロック
ピーター 目覚し時計
山本リンダ ファンタ
三波春夫 赤電話
高石友也 アイスボックス
山口さんちのツトム君 おひなさま
アリス ストーブ
田中好子 置き薬&薬箱
荒井注 ボウリングゲーム
野口五郎 ビーフカレー
郷ひろみ
坂本九
青江美奈
藤圭子

鼻子の今月の1枚!」

毎月はじめに当店で、無料配布しているタウン誌「浜松百撰」。この3月号の「昭和の一曲」のコーナーの中で、鼻子が推薦した曲がこのドリフターズの「いい湯だな」です。ドリフと言えば「8時だョ!全員集合」ですね。昨年のNHKの紅白でも、久々に登場してきて、涙、涙・・・の人も多かったのでは?
(平成14年2月号より)
少し前に当店の常連さんで、笠井にお住まいの加藤直樹様より、「アグネス・チャン」さんと「麻丘めぐみ」さんのレコードをたくさんいただきました。もちろん、現在も店内に飾らせていただいております。加藤様ご本人がファンだったようで、このお二人のレコードばかりでした。写真の「ひなげしの花」は、1972年11月発売ですからもう30年も前の曲となります。その後もアグネス・チャンさんは、活躍されておりますので、長い芸能生活となりました。
(平成13年9月号より)
タウン誌
「浜松百撰・7月号」の「マニアな世界」でも掲載された「ジャングル大帝」です。広島で修行中の鼻子が、15年程前に広島駅近くの骨董品屋で購入しました。ソノシートで、値段もないのであるいは、何かの雑誌の付録に付いてきたものかもしれません?鼻子は、100円で購入したのですが、20000円の値段がつけているのを雑誌で、読んだ記憶があります。
(平成13年8月号より)
今回も浜北市の「アイシー家電」様よりいただいたレコードの中のご紹介です。下のピーターさんと同じく、顔のアップのジャケットですが「辺見マリ」さんです。娘さんも大活躍されていますが、やや下から撮ったこの写真もかなりのインパクトがあり、鼻子のお気に入りの一枚となりました。
(平成13年7月号より)
先日
、浜北市にある「アイシー家電」の店長様よりEPレコードなどを50枚程いただきました。廃棄電化製品などと同じく処分される運命だった、これらのレコードをわざわざ届けていただきました。ありがとうございます。その中にあったもので、このピーターさんのジャケットが気に入りました。なんとなく雰囲気が「浜崎あゆみ」に似ている?ような気がします??(たぶん錯覚でしょう)まだ、おもしろそうなレコードもいただきましたので、来月もう1回紹介したいと思っております。
(平成13年6月号より)
5月3日に山本リンダさん(50才)が電撃入籍をいたしました。知人の紹介で食事をしてから半年で入籍ということで、お相手は大学教授(57才)という事です。相手の方は、一般人という事で記者会見にはでられなかったようですが、週刊誌での山本リンダさんのうれしそうなお顔は、このジャケットからウン十年たっているとはいえ、やはり山本リンダさんそのものでした。末永く、お幸せに。
(平成13年5月号より)
4月14日三波春夫さんが亡くなりました。このレコードは、「チャンチキおけさ」などとともにヒットした「東京五輪音頭」ですがベスト盤という感じのつくりでソノシートが4枚も入っています。380円という定価もそうですが、後援会のお知らせにも時代を感じます。「入会金100円、会費1ヶ月100円、だだし半年分をまとめて納めると550円になる」といかにも「お客様は神様です」といわんばかりのまじめさが、でています。鼻子もサービス業をしている身ですので、見習いたいです。最後に三波さんのご冥福を御祈りいたします。
(平成13年4月号より)
春は、進学、就職の季節でもあります。そして進学には、受験生&受験勉強がつきものです。この高石友也さんの「受験生ブルース」も当時の受験生の暗くなりがちな気持ちを歌ったものだったと思います。「ボクは悲しい受験生・・・」「恋しちゃならない受験生・・・」「大事な青春無駄にして・・・」とスゴイ歌詞のオンパレードです。しかし、現代の受験生のほとんどは、こんなに暗く厳しい受験生ではないように思います。これも時代の流れでしょうか。

(平成13年3月号より)
たしか去年の今頃は、「だんご3兄弟」が、大ヒット中でした。子供番組や「NHKみんなの歌」の曲も時々、注目を集めます。写真の「山口さんちのツトム君」も1976年の「みんなのうた」からのヒットでした。歌詞の中のツトム君は、「このごろ少し変よ。どうしたのかナ」となっています。実は、鼻子の知り合いにも、○○さんちの務くんがいます。こちらの務くんは、山口ツトムくんと違って「前からとても変よ。どうしてなのか?」(笑)といった感じです。(務くん、ごめんなさい)ジャケットの裏は、ぬりえになっていますし、またこんな楽しい歌がヒットすると世の中が明るくなる気がします。
(平成13年2月号より)
アリスが、1月17日の神戸市で開催されたチャリティーコンサートから、20年ぶりに復活しました。1971年のアリス結成時に思い出が深い、神戸国際会館こくさいホールを復活の舞台としました。このチャリティーコンサートでの収益金で楽器を購入して、神戸市の学校に寄付するようです。しかし、メンバー1人の谷村新司さんも51才になり、このジャケットの(一番右の男性)長髪の頃の写真を見ると時間の経過を感じます。

(平成13年1月号より)
最近「ワイドショー」のテレビ番組欄で「田中好子さん」の名前を発見しました。離婚問題で、ゴタゴタしているようでしたが、はっきりした事はわかりません。「ラン、スー、ミキ」と3人そろっての、キャンディーズとしての活躍は、4年半位でした。当時も「解散?」と、驚きの声をあげたものですが、これは同じ位の活動期間で突然解散した「SPEED」と似ているかもしれません。「普通の女の子に戻りたい」という名言?を残したのですが、藤村ミキ以外は芸能界に復帰しました。当時の3人にとっての理想の「普通の女の子像」は、いったいどんなものだったのでしょうか。なお3人の中で、最年長だった伊藤蘭さんは、この1月で45才になります。

(平成12年12月号より)
少し前の週刊誌等で「荒井注さん」の遺産の事が、取り上げられていました。荒井注さんが、「全員集合」の中で毎週カメラに向かって「なんだ、バカヤロー」を連発していたのを思いだします。このジャケットでは、わかりにくいのですが一番右が注さんで、なぜかこの写真も4人とは、離れています。注さんが、ドリフターズを辞めてから、志村けんさんが、入るのですがそれまでとは、ドリフの雰囲気が変ったように記憶しています。最近では、高木ブーさんが、ウクレレを教えたりしているようですが、ここ2〜3年鼻子は荒井注さんを、見ませんでした。晩年は、静かに過ごされていたようです。
(平成12年11月号より)
先月ここで郷ひろみさんをとりあげましたら、なんと「野口五郎さん」も婚約を発表されました。20年以上前でしょうか?日曜日の夜、研ナオコさんと「カックラキン〜」という番組でダジャレを連発していたのを思い出します。それにしても、野口五郎さんは、結婚されているものと思ってました。そういえば、西城秀樹さんもまだでしたっけ?来月は婚約がらみで、ここに西城秀樹さんに、登場してもらいましょうか。
(平成12年10月号より)
98年4月の電撃離婚から、2年半がたった「郷ひろみさん」と二谷友里恵さんが再婚したり、婚約の発表をされました。お似合いの美男美女のカップルでしたが、離婚後の再婚のはなしもちょうど、今年の夏のことで、なんとタイミングのいい事だと思いました。このレコードの中の郷ひろみさんさんは、まだ少年と言った方がいいような、あどけなさの残る若々しいジャケットです。


(平成12年9月号より)
少し前に、パリでコンコルドの事故がありました。しかし、毎年夏になると1985年の日航ジャンボ機墜落事故を思い出す方も多いと思います。今年の8月12日に、丸15年を迎えました。鼻子は、ちょうどこの事故を旅先の岡山のユースホステルで知りましたので、記憶に残ってます。そして、520人の犠牲者の中に「坂本九さん」も含まれていました。坂本九さんの歌は、明るく元気な歌が多かったのですが、このレコードも、九重佑三子さんとの笑顔のジャケットです。ただ曲名の「幸せのうた」「今日も元気で」が、事故後の今となっては皮肉な感じです。



(平成12年8月号より)
今回は、7月2日にすいぞうがんのため死去しました「青江美奈さん」です。54才の若さでしたが、68年の「伊勢佐木町ブルース」は、大ヒットしました。しかし鼻子には、歌より「元祖チャパツ」としての印象の方が強いです。このヘアスタイル&ファッションでしたら、十分現在でも違和感がないように、思います。青江美奈さんのご冥福をお祈りいたします。



(平成12年7月号より)
今回ご紹介のレコードは、去年からヒット続きの「宇多田さん」のおかあさんの「圭子さん」。代表曲である「圭子の夢は夜ひらく」はジャケットと同じく鼻子には、どうも暗く寂しいイメージがあります。「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞とは、全く違う青春真っ最中の「宇多田さん」とは、やはり顔のどこかが、似ているでしょうか?




「鼻子の持ち物検査

おめん

かなり古いおめんですが、何年位前のものかは不明です。ていねいに手作りされて、それぞれに味のある表情になっています。このような、おもしろさも古いものの、よさでもあります。
平和鳥

昭和40年代には、どこの家庭でもこの「平和鳥」が頭を動かしていました。「平和鳥」(ハッピーバード)は、気化熱を利用した、おもちゃでしたが、当時小学生だった鼻子にはその原理もわからず、ただただ「不思議だなあ」と思っていました。しかし、全体的に薄いガラス製品だったのでよく割れてしまったり、また長く使っていると顔の部分のスポンジ状のところがボロボロと取れてきて、恐ろしい形相になったのを覚えています。
「ピンクレディー」

週刊誌の見出しに「ピンクレディーのミー」が出たのは久しぶりのような気がします。見出しを見て、キャンディーズ、ピンクレディー世代の鼻子としては、特別ピンクレディーのファンでなくても、週刊誌を覗いてみたくなりました。当時のピンクレディー・グッズは、マイク、人形、帽子・・・なんでもありました。写真は、小さくてわかりにくいのですが45ピースの幼児向け「パズル」3種類と、「いつも元気なミーとケイ」といった感じの「ピンクレディーかるた」1組です。ピチピチの2人の写真は、さすがに懐かしさを感じます。
扇風機

今年の夏も暑く、もうエアコンや扇風機なしの生活は考えられなくなりました。最近の扇風機は、デザイン的にもスマートでシンプル、また色使いもカラフルのものが多いのですが写真の3台はどれも重く、重厚な感じさえします。しかし、反対に全く違うデザインのため新鮮さやかわいさも感じたりするものです。
学研電子ブロック

1964年に発売され、90年までに生産打ち切りになった「電子ブロック」が、今年から受注生産をはじめました。ダイオード、コイル、アンプなどを組み込んだブロックを組み合わせるとラジオなどが作れ、80年ごろには年間10万セットが出荷されました。当時小学校だった鼻子は友達が持っていた事だけは記憶してます。ちなみに写真のものは100種類の実験回路ができる「EX−100」ですが、受注生産を再開したものは、55の回路の組み合わせ可能な「NT−55」(18000円)で、月間150セットのみの生産のため、納品まで1ヶ月待ちの状況が続いているようです。
目覚し時計」

いろいろな所で見かけては、デザインのおもしろさ、かわいさでつい買ってしまい20個ほど集まりました。どれも似たようなものばかりですが、右の四角の2個の時計などはいかにも60年代という色使いだと感じます。動かなくなったものも多いのですが、本棚や机の片隅に置いて楽しんでいます。でも、これだけ一気に鳴り出したらどんに朝が弱い人でもさすがに起きるでしょうね。
ファンタ

春から一気に夏のような季節になってきました。気温も上がるとやはり飲みたくなるのは、清涼飲料水や缶コーヒーです。鼻子は、小学生の頃はファンタ・グレープが好きでした。「夢見るようにおいしい」のファンタジーの意で「ファンタ(オレンジ・グレープ)」が昭和33年1月に発売されました。(写真前列中央)43年2月には、250ml缶が(写真左)発売、48年4月には、500ml瓶も発売されました。その後もアップル、レモンをはじめ1リットル瓶なども次々に発売されました。なお、鼻子がずっと捜している昭和50年2月発売の「ファンタ・アップル」250ml瓶、中味入りで王冠も「アップル」と読み取れるファンタを譲っていただける方は、是非ご連絡ください。ずっと、捜しております。

赤電話

最近携帯電話の普及により、公衆電話の数がめっきり減りました。ピンク電話でさえ、鼻子のとこで働いている高校生は「見たことがない」という人ばかりで信じられません。小学生になるとダイアル式の電話機の使い方がわからかったりします。写真右の電話機は昭和46年10月製造のもので、翌月から新型になりましたので旧型の一番最終のものです。左のものは昭和61年1月製造のもので、下のピンク電話と機能的には全く同じ物です。赤い屋根でクリーム色の四角の電話ボックスや、赤、青、黄色の電話については、「なるほど!公衆電話」ホームページ内の「公衆電話博物館」に詳しくのっています。
「アイスボックス」(冷蔵庫)

このアイスクリーム入れは、写真ではわかりにくいのですが、現在店内用のピンク電話の電話置き台として使っています。ピンク電話の下は空洞状になっていて魔法瓶のようにガラスばりとなっています。これは、元々は九州の田川市の駄菓子屋さんで使われていたもので「大月堂」は、その屋号です。「アイスステック¥5」「フルーツアイス¥10」と書かれているので、かなり古そうですが実際に昭和40年前後までは、使われていたそうです。現在、広島市内でバスの運転手をしている鼻子の先輩から、譲っていただいた想い出の品ですので、大事にしたいと思います。なお、このアイスボックスは以前「なんでも鑑定団」の静岡大会に応募してみましたが、みごとに不採用の通知をいただいたものです。
おひなさま」
(平成13年2月号より)
今回は、3月号ということで季節柄、土人形のおひなさまのご紹介です。しかし、残念ながら鼻子には土人形の知識がないので、浜松独楽の会の佐原正芳様に、人形について教えていただきました。「お雛様は、型と色使いから間違いなく三河の土人形です。「鈴市」の印?がはっきりわかれば、棚尾(碧南市)の鈴木市太郎(父)、鈴木初太郎(子)の作品です。制作時期は明治15年から昭和36年で、三河の中では、最大数を製作していました。ただ、他の製作者による模倣品も多いと言われています。お顔の特徴は、上下まぶたの線が、目元と目じりでも接しない。目は切れ長でやや釣り上がり気味等があります。お雛様等の組物は、そろって良い物を入手するのは難しいです。大事にして下さい。」佐原様、鑑定士のように詳しく教えていただき、ありがとうございました。「鈴市」も目の特徴もそのとおりですので、間違いないようです。
ストーブ
(平成13年2月号より)
いよいよ寒さが本格的になってきたこの時期、やはりストーブのありがたさが、身にしみます。写真の2台は、どちらも丸型のおもしろいデザインのものです。右の小さな方は米国製の電気ストーブだと思います。鼻子のお気に入りは左の石油ストーブです。「土屋工業株式会社」の「ツチヤ石油ストーブ」とあります。以前、どこかの古道具屋でも、これと同じタイプのストーブを見た記憶がありますので、あるいはヒット商品だったのかも、しれません。2台とも、形を見ただけでも、丸くてポカポカしてきそうなストーブで
置き薬&薬箱」
(平成13年1月号より)
昔の薬のパッケージは、「飲んだら効く!」と思わせるデザインが多いです。風邪薬には、恐そうな鬼?のような絵柄が多いし、子供用には着物姿の優しそうなお母さんのデザインです。薬の説明を読むと「脳病」頭痛の事?という表現があったり「元祖・安の目薬」の効能には「眼病・手足ただれ・いぼぢ・きれぢ・靴ずれ・あかぎれ・淋病」と書いてあり、本当なら夢のような薬だと思います。ちなみに、この「元祖・安の目薬」をはじめ写真の粉薬、仁丹類はほとんど未使用のままです。デザインが好きで、いろいろな所で見つけては、買い集めました。是非、飲んでみたいという方は、鼻子までどうぞ。ちなみに、病が悪化して、取り返しのつかない結果となっても責任はもてません。
エポック社の「ボウリングゲーム」
(平成12年12月号より)
もう25年ほど前だろうか?中山律子さんが、大活躍したボウリングのブームがありました。当時、ボウリング場への入場を固く禁止されていた小学生は、このボウリングゲームで遊んだものでした。写真ではわかりにくいのですが横幅が80センチもある大きなゲームです。うまくできていてフックボウルも投球できるのですが、長く使っていると右手前の人形の右手が折れてしまう事が欠点でした。折れるというより切断してしまい、ゲームができなくなりました。写真のゲームは、袋井市の駅前にあった廃業したおもちゃ屋さんで、10年程前に手に入れました。

モミジ印の「ビーフカレー」
(平成12年11月号より)
鼻子が、15年前広島で修行中の時、遊びに行った「倉橋島」のとあるタバコ屋さんの棚からみつけました。その時すでに缶の上下は、サビていましたがシチサンわけした子供が舌を出してOKとやっているパッケージが妙に気に入り、そこにあった3個全部いただいてきました。「モミジ印」というのがいかにも広島らしいと感じてましたが、なんと東京の会社での製造でした。男の子の写真の後ろには「不時の来客・御家族に御使用の際は、1缶約2人分はありますので人数に合わせて御使用戴けば無駄をはぶけます。」とあり、缶詰のまま熱湯で15分あたためるともあります。たぶん70年代のカレーだと思いますが、開けるのがこわくて、もう15年もそのまま持ってます。