手招き
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 去年の夏、一人でバイクツーリングに出かけた時に私は山の中でコケました。 仲間内には時計をちらっと見た時にちょうど落ちてた枯れ枝に乗っかってバランスを崩したという事になっているのですが、実は違うんです。 これは自分以外の人に話すのは初めてで、仲間内も知りません。

 夏休みを利用して、一人で山の方へツーリングに行きました。 すでに何回か行ったことのある場所です。 道も覚えているので、何処で曲がればいいか、何処で給油すれば適当かすべて承知のコースです。 そんなツーリングの帰り道に事故は起きました。
 午後十一時を過ぎたころでしょうか。 帰りが遅くなっても、明日も休みですから昼過ぎまで寝ていられます。 夏特有のどこかどんよりとした、しかし満天の星空の下を木立に囲まれた右に左にと曲がりつづける道をひたすら走っていました。 外灯も無い、エンジンを切ればきっと虫や動物の鳴き声が聞こえるような山道です。 今、この世界は自分だけのもので、町中の喧燥はすべて静寂という貪欲な生き物に食べ尽くされたのだと頭に思い浮かべながらヘッドライトに照らされた僅かな小宇宙を眺めていたのです。
 やがて木立が開けて、ちょっとした直線の道へと出ました。 そう、ここは川に沿ったところで、昼間であれば河川敷きにバーベキューなんかをしている家族連れが楽しんでいる場所です。 物静かに流れる川と覆い被さるように立ち並ぶ木立の境界線ともいえるこの道をしばらく進んだ時です。 やや深い霧が突然あたり一面を包みはじめました。 私は少しアクセルを緩め、慎重に前方を凝視しました。 ヘッドライトの明かりに照らし出されたもの、それは人影でした。 その男女の区別もはっきりしない人影はなにやら手招きしているようです。 私はただ手招きに従い、そのまま人影のほうへとバイクを走らせました。 すると突然、突き上げられたようなショックをバイクと私を襲い、我に返った私の目の前にはガードレールの切れ目が迫っていたのです。 私はほとんどパニック状態となり、ハンドルを切り急ブレーキをかけました。 車と違いますから当然、転倒です。
 静寂の中、やっと体を起こした私はあたりを見回しました。 霧など無い満天の星空、ガードレールの手前に倒れているバイク、そのまま木々を照らしつづけるヘッドライト、そして、ガードレールの切れ目の手前で呆然としているこの私。 ふと道路の真ん中に落ちた枯れ枝に目が止まりました。 どうやら先ほどのショックはこれが原因のようです。 ガードレールの切れ目の向こうは崖。私は済んでのところで数十メートル下の川に転落せずに助かったのでした。
 バイクを引き起こし、損傷を調べました。 ハンドルとステップが少々曲がっただけのようです。 タンクやマフラーの傷はこの際しかたありません。 エンジンも問題なくかかるので、とりあえず家へと帰ったのです。

 バイクが修理から戻らない一二週間の間に車でその場所に行ってみました。 いみじくもアスファルトの上にはバイクの滑った痕が残っています。 あの人影は何だったのだろう。 そう思いながら、例のガードレールの切れ目から下を覗いてみました。 ゆったりと流れる川、そして小さいながらも続く砂利、崖の隅にある地蔵。 地蔵?何か冷たいものが背中を走るような気がしたのでした。


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