横山やすしさんのご冥福をお祈りします
- 漫才師の横山やすしさんが(日本時間)1月21日(日)夜、亡くなりました。51歳。アルコール性肝硬変です。
- 22日(月)のニュースステーションでも久米宏が、
- 「14年ほど前に横山さんとテレビスクランブルと云う番組をやっていまして、あの方だいたい酒気帯びで 車 運転して来るんですね。1度なんか 『すまんトイレ』 と言って、番組中にそのまま帰っちゃった。破天荒な方でありました。」
- と語っていました。
- たしか、テレビスクランブルは「天才たけしの元気が出るテレビ」の前の番組だったような気がします。
- やすし;あほにあほ言うてどこが悪いねん。
- 久米 ;えー。抗議の電話は番組終了後にまとめてお願いします。
- という天才同志の絶妙のやりとりが思い出されます。
やっさん葬儀
- 葬儀には吉本からの花はなかったのですが、役員が来て、やっさんが木村一八の事件の時、吉本から借りた5000万の借金を
- 「仏さんからはもらえません。」
- と、棒引きしたそうです。
- 遺影は楽屋でパンツ一丁で着替えているときの写真の顔の部分でした。
- 参列者は、桂三枝、笑福停仁鶴、巨人・阪神、のりお・よしお、宮川大介・花子、ぼんちおさむ、西川ヘレン等。
- 通夜、葬式でのコメントは覚えている限りでは、
ビートたけし
- 「雲の上にいる様な人だった。」
さんま
- 「僕は19歳の時初めてテレビ出たんですけど、そのとき やすし師匠と一緒に出さしていただいて。番組終わって、一緒に飲みに行って、次の日、会社の人に『さんまっちゅう若いおもろいのがいてるなー』と言って回ってくれたんです。無茶してはったときは、ひどいな て思ってましたけど、今になるともっと無茶して欲しかったです。」
島田紳助
- 「漫才ブームのとき、上着もろたんです。野球で言えば長嶋さんにバットもろたようなもんで。怖い人やったけど、考えてみたら一度も怒鳴られたことはなかったです。」
上岡龍太郎
- 「漫才というのは、今のことをすぐにネタにしてやらないかんので、非常に難しんですけど、苦もなくやってましたね。小さい頃から知ってますけど、本当に天才漫才少年やったですね。」
夢路いとし・喜味こいし
- 「本当は、僕らの方が先に逝かなあかんのやけど。漫才師であることに誇りを持ってましたな。最近の若い人は漫才いやがるんやけど、根っからの漫才師でした。」
葬儀前後の関係者のコメント
中田カウス
- 「東京で番組が終わって飲みに行ったんですが、出てくる言葉は、
『おのれが』、『ボケが』、『カスが』、『どあほ』、『殺すで』、
- ですわ。隣のテーブルの怖い兄さんがこっち来て、『静かにしなよ』。これで静かになると思ったら、
『何言うとんねん?大阪の芸人なめたらかんど!表出んかい!』
- お兄さん5人くらい連れて表、行かはって、心配になって少しドアを開けて見たら、
『横山でんがな。知ってまっしゃろ。見てまっしゃろ。』
- って。席に戻って見んかった振りしてたら、
『東京のモンもたいしたことないのー』
- って。」
今いくよ・くるよ
- 「『芸人は売れなかん』、『注目されなかん』とおっしゃって、無名だった私達を表に出してくれました。ありがとうございました。」
桂三枝
- 「この世界に入ってしばらくした頃、天ぷらうどんをおごってもらいまして、
『皆、ごちゃごちゃ言うとるけど、気にしたらかんでー。抜いてきーや。抜いてきーや。』
- て、言って頂きました。ご冥福をお祈りします。」
葬儀での横山ノック・西川きよしの弔辞
横山ノック
- 「弟子の中で一番手焼いたんが君やった。最後まで手焼かせられるとは思わんかったわ。けど、君のためにこんなに人が集まってくれてる。君の人徳やと思てます。問題がある度に、『親父さんの墓の前でよう考え』 と言うたら、よう泣いてたな。でも、君のレベルはとっくに師匠のわしを越えてた。天下一のやすきよの漫才は漫画トリオを越えてたと、ここではっきり言わしてもらう。そっちに行ったら好きなだけ酒飲んでええ。でも漫才は忘れたらかん。わしもそっちに行ったら一緒に漫才やろ。そして天国の人をみんな笑かしたろ。それまで天国の人にあんまり迷惑かけたらかんで。これを君に送る最後の言葉とします。」
西川きよし
- 「きのう番組で、三枝さんと、ノックさんと、ざこばさんと、きん枝君みんなと会いました。番組が終わったあと、みんなで飲んで、自分(関西での2人称)のことボロクソに言うたで。ほんま早う逝ったなあ。
- 自分、よう わしが泣いてると 『泣いたらかんでー。きー坊、泣いたらかん。よお泣くなー。しかし。どこにそんねん涙あるねん。』 て言うてたな。わしも昨日まで泣かんかったんやけど、さっき漫才のビデオ見たらおもろい漫才やった。自分でもおもろいと思う。おもろいと思たら泣けてきたわ。
- (…中略…)若いときは『人生山あり谷あり』て言われても、よう わからん かった。でも、ほんまに 『山あり谷あり』 て自分に教えてもろたわ。
- 師匠に新しくコンビ組むか て言われて、喫茶店で会うて、
- 『横山や』
- (吉本も小さな会社だったので)名前くらい知っとったわい。
- 『わし自分と漫才せな困まんねん。頼むで。』
- 最初っから強引やったな。
- 41年にコンビ組んで、42年に新人賞もろて。二人でいろんな賞もろたなー。自分のおかげや。わしもがんばったけど、自分のおかげや。コンビ組んで5年目やったかなー、京都の交番の前で、茶色の背広がボロボロになるまで殴りおうたの覚えてるか?。何であのとき、お巡りさん止めてくれんかったんやろな。たぶん二人とも漫才に対して真剣やったから止めれんかったんやと思うわ。
- (…中略…)テレビも冷蔵庫もみんな月賦で、これからがんばろうと言うときに事件起こして目の前真っ暗で、2年4ヶ月の判決受けて、自分、一升瓶持ってわしの家に来たな。わしの嫁はんと3人ですきやき食うて『きー坊、わしのことはええ。わしのことはええから他の人と漫才やれ』て言うてくれたな。でも、わしは待ちたかったんや。ずっと待ったほんまに。待って良かったわ。
- 帰ってきたら、プロポーズ大作戦とか ええ仕事もろて、そしたらまた事件や。吉本の人も 『新しい相方見つけて漫才しいや』て言うてきて。『さすが吉本やな』 て言うて二人で笑ろたな。そやけど、売れるきっかけ作ってくれたんは自分や。『そんなこと出来ません』 言うたら、『なんで言うこときかへんねん。それやったらお前も首や』 て言われて…。『岡八郎と組んで 奥目と出目でやれ。』 と言われたときは、わしほんまはやろかと思ったんや。
- (2歳)年下のわしが言うのもなんやけど、自分 ほんま憎めんかったわ。それは本当、自分の人徳や。
- 自分よう怒ってたな。なんでそんなに 怒こんのかと思うくらい。でも、自分がなんで怒ってるのか、わし全部知ってたで。
- あと、約束を守ってくれたこと。うれしかった。わし 自分とこの嫁はん にも言うてない。自分おしゃべりやて言われてたけど最後まで約束守ってくれたな。(この項注釈:二人だけの誰にも言えない秘密があったようである。詳細不明。)
- それから心配やろ、嫁はんのこと子供のこと、特に光ちゃん(やっさんの次女)のこと。わし必ず相談に乗らしてもらうわ。
- 影になり、支えになってもろたな。お礼言うわ。ありがとう。さっきも師匠のノックさんが言うてたけど、もうゆっくりしーや。何にも考えんと、ゆっくりしーや。わしもなるべく早ようそっちに行かんようにするわ。ゆっくりしーや。ほなな。」
やすし;わしら、日本一の漫才師とちゃうで、世界一や!
きよし;そや!よう言うた!