姫街道と池田の熊野(ゆや)

▼姫街道分岐点@A

見付宿の西端にあり、ここから三河御油宿(愛知県豊川市)までおよそ60kmの姫街道となる。
東海道の今切(新居)の難所をさけて浜名湖の湖北を迂回する姫街道は婦女子に利用された。

この道を西進すると「池田の渡し」となる。
▼池田の行興寺(ぎょうこうじ)B
天竜川の東岸の池田(豊田町)は、謡曲「熊野」(ゆや)で知られ、平宗盛(清盛の子)に寵愛された「熊野御前」(ゆやごぜん)の郷里で、この寺にその墓がある


▼熊野の長藤(ながふじ)C
本堂横の「熊野の長藤」は国の天然記念物で、境内いちめんに藤の古木があり4月下旬から5月上旬にかけて花見客で賑わう。


▼熊野御前の墓DE
池田の長者の娘で、ときの遠江守平宗盛に寵愛された「熊野御前」の墓。
格子戸の奥の左が「御前」の墓で、右は御前の母の墓である。


▼荻原井泉水の句碑F
  「藤の長房や天竜は長き流れなり」


▼「池田橋の跡」碑G
行興寺のすぐ西側の天竜川のほとりにあり、碑には「池田橋の跡」と記されている。江戸時代姫街道の天竜川の渡船場(池田の渡し)があった跡である
天竜川は明治初年まで船でわたったが明治7年に舟橋ができ、その翌々年に木橋にかけかえられた。この石碑は木橋があった跡である。