成熟したクルマエビの雌は3〜9月、黒潮の影響する沿岸で採捕される。この時期の雌を背側から透かしてみると、暗緑色を呈して幅広く拡がる卵巣の一部が見られる。漁獲物中の成熟雌を水槽に収容し、水温を約25℃に維持すると多くの場合その日の夜間に産卵する。雌はすでに外海で交尾をすませており、貯精嚢に精包を貯えている。放卵直後の卵はゼリー状物質に包まれ浮遊しているが、精包から放出された精子によって受精すると卵膜が形成され底に沈下する(卵径約0.2mm)。
水温25〜28℃の場合、産卵後約30分で第一分裂が始まり、約13〜14時間で孵化して海水中に浮遊する。(写真は4分割卵)
孵化直後の幼生はノウプリウスと呼ばれ、体長約0.3mm、単眼を具え、3対の頭部付属肢(第一,第二触角,大顎)が発達している。強い趨光性を示し付属肢で水を攪くようにヒラヒラと遊泳し、またそれを斜めにあげて静止する。
ノウプリウスは栄養を体内の卵黄に依存しており摂餌しないが、約36時間に6回脱皮してゾエア(プロトゾエアとも呼ばれる)に変態する。(写真はノウプリウス後期のもの)
ゾエア(1令:体長約0.9mm)になると体は伸長して胸部に第1、2顎脚が備わり遊泳作用に加わるが、主な遊泳器官はノウプリウス期と同様に第1、2触角である。大顎は収縮して遊泳機能を失い咀嚼作用を営むようになり、新生した第1、2小顎とともに口器を形成する。ゾエアは珪藻類などの微小なプランクトンを摂餌する。
ゾエア1令の眼は単眼であるが、2令以降において有柄可動の複眼となる。
3令では、第3顎脚が伸長し、尾肢が出現するとともに腹節が明瞭に認められるようになる。
写真の赤丸の中のものが、3令で出現する尾肢で、2令と3令のゾエアを区別するのに役立つ。
ミシス(1令:体長約2.8mm)になると第1、2触角は遊泳機能を停止し、胸部に新生した第1〜5歩脚はそれぞれ外肢に多数の遊泳刺毛を備えて主要な遊泳器官となる。第1〜3顎脚は遊泳および摂餌の両作用を営んでいる。ミシスは頭胸部を下に倒立して活発に泳ぎ、動物プランクトンのような大きな餌を摂餌する。
これから3枚の写真は、ミシス期の1〜3令の区別をするのに役立つ、腹部の遊泳肢の形成される過程の拡大写真です。赤丸の中を注目してください。
2令では、芽のように遊泳肢が見えてきます。
3令では、完全ではありませんがはっきりとした遊泳肢が見えるようになります。
ポストラーバになると5対の歩脚の外肢は脱落して遊泳作用を止め、かわりに腹部に新生した第1〜5遊泳肢を用いて水平的に遊泳する。クルマエビのポストラーバは毎日のように脱皮するが、数回脱皮すると水槽の壁や底に着き歩脚で匍匐し、10〜12回も脱皮すると成体に似て潜砂行動を示すようになる。 藤永元作先生は、1953年、日本水産(株)と大洋漁業(株)の協力によって、千葉県大貫町に「日本くるまえび研究所」を設立して、小花一雄さん、末永松男さん、石田勲さんの協力でエビ養殖の研究を進めていた。
当時の種苗生産は、屋内でろ過した清浄水を用い、室内を暗くし、黒塗りタンクで飼育しなければならぬという藤永理論によっていた。これに東大から運んだ珪藻のスケレトネマを、タンク培養しつつバケツ投与したものだったという。
この方式で飼育すると、ゾエアからミシスへと進む過程での餌付けが不十分となり、へい死率が高く、ブラインシュリンプを投与する時にはほとんどの稚仔がいない状態のまま、ポストラーバは10%以下になっていたといわれる。
ところが、小花所長が出張で留守の時の出来事。小花所長は、研究者というよりは職人気質の強いひとだったので、飼育管理に厳しく、連日にわたり休みはなく、夜も残業の連続で睡眠も十分にはとらしてもらえなかった。勿論、残業手当などはくれるはずもなく、20才たらずの末永さんと石田さんの若者にとっては、所長の出張はまたとない羽をのばすチャンスで、この時とばかり「どうせ死ぬものなら手をかける必要もなし---」と、屋外の白タンクに孵化したばかりのノウプリウスを入れたまま、何の管理もせず、その夜はのんびりと酒盛りをして朝までぐっすりと寝込んでしまった。
翌朝、日が高く昇ってからタンクを覗いて驚いた。ゾエアに80〜90%はども変態しているではないか。このとき図らずも、餌付けの飼料は投与するものではなく、自然に繁殖させたもので飼育すること、さらに、屋内の暗いタンクではなく、屋外の大陽光のもとで十分に光を入れて飼育すべきものという、エビ種苗生産上の画期的な大発見となった。これを機に、稚エビ生産の基本的な考え方が次第に塗り換えられていくことになった。